「機嫌がいいときは優しい夫。でも、ひとたび不機嫌になると暴言が止まらない――」
そんなモラハラ夫との日々に、あなたも戸惑ったことはありませんか?
日常的にモラハラを受けているはずなのに、時折見せる「優しさ」や「涙」に戸惑い、心が揺れる方は少なくありません。
でも、それは本当に「愛」なのでしょうか?
この記事では、体験談を交えながら「モラハラ夫にとっての愛情の正体」を明らかにしていきます。
優しさに隠された支配の構造を知り、もう“偽りの愛”に振り回されない自分を取り戻しましょう。
モラハラ夫に“愛情”があると錯覚した私の体験談
子どもとの再会に涙する夫に“愛情”を感じた
私の夫は、些細なことでキレては暴言を吐き、私の人格を否定することに一切の罪悪感を持ちませんでした。
耐えきれなくなった私は、幼い子どもたちを連れて実家に戻る決断をしました。
でも、別居後に子どもたちと久しぶりに再会した夫の、子ども達を抱きしるうれしそうな顔。
そして、別れ際には――あのモラハラ夫が、思いがけず涙をこぼしたんです。
「こんな人でもやっぱり子どものことは愛しているんだ」
「子どもは特別やし、当たり前か・・・」
と、ふと、考えてしまった自分がいました。
それは“かわいそうな俺”に酔っていただけ”
「夫は子どものことは愛している」
でも、すぐに現実がその思いを否定しました。
私は別居に至るまで、何度も冷静に話し合いを試みました。
一対一で、あるいは私の両親を交えて。
それでも彼は、耳を貸すどころかこう言い放ったのです。
「そんなにイヤなら今すぐ出ていけ」
「別居するくらいなら離婚する!体裁も悪いし女も作られへん!」
「養育費なんて払うかよ」
彼の頭の中には、子どものことなんて一切なかったんです。
あるのは、自分の体裁や損得、自分の不便さだけ。
もし本当に子どもを愛しているなら、離れる前に「子どもたちのためにどうするべきか」と一緒に考えようとするはずですよね。
涙を流したのは、たった一度きり。
その後、夫の態度はまったく変わりませんでした。
「なんで俺が生活費を出さなあかんねん」
「一番かわいそうなんは俺やろ」
そう言い出したときには、もう呆れるしかありませんでした。
本当にかわいそうなのは、事情も分からず環境が変わってしまった幼い子どもたちでしょ!!
夫は、「かわいそうな俺」に酔っているだけだったのです。
あのとき流した涙も、子どもを想っての涙ではなかった。
「会えなくなる俺がかわいそう」という、自分の感情に酔った被害妄想の涙。
私はようやく、そう気づくことができました。
モラハラ夫の「愛情」は、あなたの思う愛ではない
モラハラ夫にとって「愛」は、自分に向けられるものだけ
モラハラ夫にとっての「愛情」とは、他者に与えるものではなく、自分(夫自身)に向けられるものだけです。
しかもその愛は、見返りがあって初めて成立する“条件付きの愛”。
妻が献身的に尽くす
→「それくらいやって当然」
子どもがなつく
→「俺は良い父親だ」と自己満足
彼らは、“与えて終わり”という無償の愛を理解していません。
モラハラ夫の愛のかたちは「2歳児のような自己中心性」
モラハラ夫の心は、例えるならイヤイヤ期真っ只中の2歳児。
「これして!」「イヤだ!」とわめき散らし、思い通りにならないと怒る。
でも子どもと違うのは、成長する機会を放棄し、他人を傷つけてまで自分の欲求を通そうとするところです。
「俺の言う通りにしろ」
「それが愛だろ」
その精神性が、大人になっても変わらないまま、力や言葉で人を支配する点がモラハラ夫の厄介なところなんですよね!
妻は“自分を無条件で愛し、受け入れる存在”であるべき?
モラハラ夫にとって、妻は「何があっても自分を受け入れ、尽くしてくれる存在」であるべきだと思っています。
まるで幼い子どもが母親に無条件の愛を求めるように、どんなワガママや暴言でも許されると本気で信じているのです。
反論されると「愛されていない」と受け取り、逆上したり責めたりするのが特徴です。
しかし一方で、妻の感情や失敗は絶対に許さず、共感もしません。
「自分は許されて当然、でも他人は許せない」という身勝手さが、彼らの“愛情”の正体です。
それは思いやりや尊重とは程遠い、自己中心的な支配欲にすぎません。
「優しさ」に騙されないで、それは支配のための餌かもしれない
ご機嫌なときだけの優しさは“演出”かも?
モラハラ夫は、“普段は優しい“という人が多いですよね。
「今日は疲れてるでしょ、俺が作るよ」
「たまには休んだら?」
一見すると、思いやりのある言葉。
でも、それはあなたを安心させ、再び心を開かせるための“撒き餌”である可能性が高いのです。
その優しさは“のちの暴言”のための布石だった
後日、こんなふうに言われたことはありませんか?
- 「この前あれだけしてやったのに、お前は何も返さない」
- 「俺がいなきゃ何もできないくせに」
これは、あなたの罪悪感を引き出し、自己評価を下げさせるための支配的コミュニケーション。
優しさを装っておいて、後から見返りや恩を返済させる。
そんな手口は、モラハラの典型です。

モラハラ夫は“愛”を「支配の言い訳」として使う
「お前のため」は、ただの正当化
「これはお前のため」
「厳しく言うのは、愛してるから」
そう言って、モラハラ夫は平然とあなたを責め、コントロールします。
でも、その実態はただの自己正当化。
あなたを責めることで、自分の価値を感じようとしているだけです。
“愛している”という言葉を免罪符にしないで
言葉だけの「愛してる」は、何の意味も持ちません。
真の愛情は、あなたを思いやり、傷つけない努力をし、必要であれば自分を変える姿勢に現れます。
暴言を繰り返す人に「愛がある」と信じる必要はありません。
まとめ:愛を錯覚させるのが、モラハラ夫の巧妙な罠
モラハラ夫の“優しさ”や“涙”に、つい心が揺れてしまうこともあるでしょう。
でも、それは愛ではなく、あなたを手放さないための仕掛けです。
真の愛情とは、
- 話を聞いてくれる
- あなたを尊重する
- 困ったときに支えてくれる
どれ一つ満たしていないのに、あなたが苦しんでいるなら、それは「愛」ではありません。
あなたが今すべきことは
- 優しさに騙されない強さを持つこと
- 支配から抜け出す選択肢を持つこと
- あなた自身の幸せを大切にすること

コメント
コメント一覧 (2件)
読んで良かった。目が覚めました。
まさに!という感じ。
すずめ様
コメントありがとうございます!
モラハラってなかなか気が付きにくいんですよね!
次はぜひモラハラ夫脱出に向けて進んでいってくださいね(*^^*)