「もう無理、別れる…!」
「こんな人と一緒にいたくない」
そう思っても、夫の落ち込んだ姿を見ると「かわいそう」という気持ちが湧いてきてしまう。
そして離れる決意が揺らぐ――
そんな経験、ありませんか?
モラハラ夫と決別しようとする多くの女性が、最後の最後にこの“同情”という罠に引き戻されてしまいます。
私自身も、そうでした。
でも今なら言えます。
「かわいそうだから」と言って自分を犠牲にする必要なんて、どこにもないんです。
この記事では、私の体験談も交えながら、「かわいそう」と感じてしまう心理の裏側と、そこに潜むモラハラの構造をわかりやすくお伝えします。
モラハラ夫が“かわいそう”に見える瞬間
同情を誘う言葉に、心が揺れてしまう…
モラハラ夫と別居後、離婚の話から夫は逃げてばかりではなかなか進みませんでした。
私はこれまで自分が感じていた想いをLINEで送ったところ、夫からは
「お前がどれだけ我慢していたのか、耐えてきたのかを少しだけわかった・・・」
「今までごめんな」
「これまで耐えて、支えてくれてありがとう」
「子どもたちを産んでくれてありがとう」
「わずかな望みで、戻ってきてくれることを期待してた自分が恥ずかしい」
このメッセージを読んだとき、私の最初の感想は
「夫がかわいそうだな」
今ならわかります。
何をバカなこと言ってんだって。
でも当時は、文章だけなのに、あのときの夫の表情が浮かぶようで、思わず胸が締めつけられました。
孤独で、寂しそうで、まるで傷ついた小動物のような姿を想像したんです。
そして私はこう思ってしまったのです。
「この人、心から反省してるのかもしれない」
「私が耐えれば、元に戻るかもしれない」
でも冷静になって思い出すと、何度も我慢し、何度も話し合いを試みても、夫が変わることはなかったという現実でした。
反省した“フリ”が再支配の始まり
私の夫も、過去に「申し訳なかった」「変わりたい」と言葉にしたことがあります。
それは、何度も。
でも、それが続いたことは一度もありませんでした。
一時的に反省するように見えても、数日、数週間すれば元通り。
優しさにほだされて戻った結果、さらにひどいモラハラが始まりました。
モラハラ夫は本当にかわいそうなの?
「本当はこの人、かわいそうなのかもしれない」
そんなふうに感じてしまったこと、ありませんか?
でも、少し立ち止まって考えてみてください。
本当に「かわいそう」なのは誰でしょうか?
忠告を何度しても聞こうとしなかった夫
私はこれまで、何度も夫に伝えてきました。
「このままでは家族が壊れてしまうよ」
「あなたはまたすべてを失うことになるよ」
「それでもいいの?」
私は感情的にならないよう、冷静に話し合おうと努力しました。
ケンカしてもいい。
だけど、暴言や暴力では解決できない。
だからもっとちゃんと話し合いたい。そう思っていたんです。
夫にも、何度も何度も
「お互いの未来のために、前向きに話し合おう。」
「生産性のある話をしよう。」
と、繰り返し訴えました。
でも、夫はそれに耳を貸そうとしませんでした。

責任転嫁の常套句「お前も同じやろ」
私が少しでも指摘をすれば、決まって返ってくるのはこの言葉。
「それはお前も同じやろ」
「まずお前が直せ」
夫はいつも、自分のことは棚に上げて、私ばかりを責めてきました。
夫にとっては、すべて私が悪い。自分は何も間違っていない。
まるで、自分には一切非がないという態度。
別居するときですら、まともな話し合いにならなかったんです。

“努力していたつもり”の夫
正直、私のために努力してくれたことなんて一度もなかったと思います。
いや…もしかしたら、夫なりに“頑張ってるつもり”だったのかもしれません。
- 家事を少し手伝った
- 子どもと遊んだ
- 怒りを我慢していた
きっと「何をすればいいのか分からないなりに、家事を手伝ったり子どもと遊んだりしてるじゃないか」と思っていたのでしょう。
たしかに、怒りを我慢している風のときもありました。
でも、その“努力”は長続きしないんです。
理想の夫・父親になろうと頑張って、その反動でたまったストレスを、最終的には私にぶつけてくる。
まるで、私をサンドバッグにして自分を保っているかのように。
モラハラ夫の「かわいそう」は本物?
そしてついに、私は限界に達しました。
それでも夫は、自分の問題には目を向けませんでした。
モラハラ夫は、自分のストレスを妻にぶつけ、自分の自己愛を満たして生きています。
うちの夫もそうでした。
すべての問題を私のせいにして、私を見下し、責めることで、自分を正当化し続けてきたんです。
それなのに。
被害を受けたはずの妻である私が、なぜか「かわいそう」と思ってしまう。
——これが、モラハラが仕掛けるマインドコントロールの恐ろしさです。
そしてまた、同じ場所に戻ってしまう。
戻った先には、再び始まる“見えない虐待”。
だから私は声を大にして言いたい。
本当にかわいそうなのは、モラハラ夫じゃない。
あなた自身なんです。
暴言を浴び、理不尽に責められ、何もかも自分のせいにされながら、夫のために必死で働いてきたあなた。
誰にも理解されず、それでも我慢を続けてきたあなたこそが、本当に“かわいそう”なんです。

「かわいそう」という感情は、あなたの優しさ
モラハラ夫がターゲットにするのは“優しい人”
モラハラ被害に遭う人の多くは、とても優しく、思いやりがあって、自己犠牲を厭わない人です。
だからこそ、モラハラ夫はその優しさにつけこんで、自分の責任さえもあなたに背負わせようとするのです。
そして、あなたが離れようとしたときに必ずやるのが、「かわいそうな自分」を演出すること。
「もう終わりなんだな…」
「お前の言う通りにするよ」
「子どもには会わせてもらえるかな?」
あなたに罪悪感を持たせ、引き止めるための戦略なのです。
加害者なのに“かわいそう”と思わせる洗脳の構造
モラハラ夫から日々傷つけられ、心がすり減っているはずなのに、なぜか「夫がかわいそう」と思ってしまう。
実はそれ、モラハラの洗脳のひとつかもしれません。
モラハラ加害者は、「自分は被害者なんだ」と周囲にアピールし、本当に傷ついている“あなた”に罪悪感を植えつけようとします。
もし相手が見知らぬ他人なら、同じように思いますか?
夫婦という関係だからこそ「かわいそう」と思ってしまう…。
でも、もし相手が他人だったら同じように感じるでしょうか?
たとえば、見知らぬ男性が通りすがりにあなたを殴ったとします。
そしてその男性が「ごめんなさい、でも俺も辛くて…」と泣きながら謝ったら、あなたはどうしますか?
もしくは、「ボーっと歩いてたお前が悪い」と責められたら?
「こんなに謝っているのに、通報なんてしたらかわいそうだな」
「私がぼーっと歩いてたから悪いんだ。この犯人は悪くない」
なんて思えますか?
そのまま許して、また暴力を受け続けるでしょうか?
多くの人は「そんなのおかしい」と気づけるのに、相手が“夫”という関係になると、なぜかそれが許せてしまう。
これこそが、モラハラの“心理的な拘束”であり、“感情の麻痺”なんです。
もし“職場の上司”だったら、あなたはどうしますか?
もうひとつ、こんな例えを考えてみてください。
あなたの職場に、こんな上司がいたとします。
- 何か問題が起きるたびに「お前のせいだ」と責めてくる
- 理不尽な仕事を押し付けて、断ると「そんなこともできないのか」と侮辱する
- 怒鳴る、無視する、急に優しくなって混乱させる
- でも、ある日コンプライアンス違反で左遷になる
- すると、「俺もつらったんだ。本当に申し訳ないことした」と謝られたとします。
そのとき、あなたは「この上司、かわいそう」と思って、左遷させないように引き止めますか。
「上司には上司の事情があるから…」と我慢して、またその環境で働き続けようと思いますか?
きっと、そうではないはずです。
「夫婦だから」は免罪符にならない
夫婦関係でも、暴力や支配があるなら、それは立派な虐待です。
相手が夫だからといって、その暴力が許されるわけではありません。
モラハラ夫は「かわいそうな自分」を演出し被害者であるあなたに「申し訳なさ」や「罪悪感」を植え付け、再び自分の支配下に戻そうとするのです。
でも、何度も思い出してください。
あなたは、暴言に耐え、支配に苦しみ、努力を重ねてきた側です。
「かわいそう」なのは、あなた自身です。
「かわいそう」だと思ったときに立ち止まってほしいこと
「夫がかわいそう」と思う気持ちは、優しさから来るものかもしれません。
でも、それは時に、あなたの尊厳や人生を奪ってしまう危険な感情にもなります。
モラハラ夫は、ちょっと優しくしただけで全てをリセットしようとする。
「また明日からモラハラできる」と思わせてしまうのです。
あなたがかわいそうだと感じるその相手は、長年あなたを支配し続けてきた“加害者”です。
そして、その人が今「かわいそうな状況」にあるのは、自分の行動の結果。
その責任を、あなたが背負う必要はありません。
- 本当は離れた方が安全なのに…
- 自分を責めないと安心できない…
- 夫のために自分を犠牲にしてしまう…
これらの感情の背景にあるのは、罪悪感を利用したマインドコントロールです。

私も子どもも夫も幸せになる妥協点を見つける
私は夫がどんなにかわいそうでも、やっぱり離婚を選びます。
きっと夫の元に戻れば子ども達は喜ぶでしょう。
夫も喜ぶでしょう。
そんな子ども達と夫を見て、私もこれで良かったとうれしく思うでしょう。
だけどきっとそんな幸せは長く続きません。
離婚したら、子どももさみしい思いをすると思います。
子ども達が夫と会えて大喜びしている姿をみると、私の一存でこの子達から父親を奪っていいのか・・・
と苦しくなります。
きっと正解なんてありません。
だからみんなの希望を少しずつ足して割って、妥協点を探る必要があるんです。
私の場合は、
- 離婚しても子どもと父親との交流を自由に続けること
- 子どもが望むなら、私も一緒に交流し4人で楽しむこと
- そして夫と私は父親母親として、新しいパートナーとして関係を築くこと
です。
夫が世間体や自分のプライドなどを捨てて、最後の最後に自分よりも私と子ども達のために耐えてくれるなら、私も夫のために精一杯のことをしてあげたいと思います。
<追記>モラハラ夫とは縁を切ることが一番な理由
2020年の末に、モラハラ夫と無事調停離婚が成立しましたので追記します。
過去の私よ・・・
甘い甘い甘い!!
甘すぎる!!!
モラハラ夫のような自分大好き人間が、自分の見栄やプライドを捨ててまで子どものために精一杯頑張るなんてことある訳がないのです。
そんなことができる人なら、ここまでこじれて揉めません。
こんな形で別れることもなかったでしょう。
父親母親として、新しい関係性を築くことが理想ですが、やはりそれは一般的な普通の男性に限ると改めて思います。
そういったことは、モラハラ夫相手にはほぼ不可能でしょう。
この記事を書いた頃の私はまだ目が覚めてなかったのかな?と思いますよね。
結局モラハラ夫とは完全に縁を切るのが、子どもにとってもあなたにとっても最善です。

まとめ:かわいそうなのは、あなたの方です
モラハラ夫は、あなたに罪悪感を与え、支配し、自分の居心地のいい世界を保つために「かわいそうな自分」を演じます。
でも本当にかわいそうなのは、被害を受けながらも罪悪感を背負い、夫の幸せのために自分を犠牲にしてしまっているあなた自身です。
どうか、その感情に支配されるのではなく、冷静な目で「自分を守るための選択」をしてください。
「本当にこれでいいのか?」と迷う気持ち、痛いほどよくわかります。
でも、自分と子どもを守るためには、時に“情”より“理性”が大切です。
あなたには、自分の人生を選び直す権利があります。
